昭和四十五年六月五日 夜の御理解
信心は神様と通う事だと思う。交流する事だ。そこで私共が神様との交流の手だてをね、いろいろ研究したり又は修行させて頂いたりするのだ。神様と交流する道。そういう道を私は信心の道と思うのです。だからどういう事になったら神様と交う事が出来るか、交流する事が出来るか。例えば神様の願い、又私共の願い。そういう願いと、願いというものがすれ違う。それはおかげが受けられない。どこかに交流するものが欠けておるからである。そこでね、私はこれはここに初めてお参りして来る、いわゆる旧信者の方に言える事は、とにかく神様と交わなければならんと言うてお道の信心はこうだと話たところです。とにかくおかげを求めて来るのだから、おかげを受けなければならん。その時にやはりおかげを受ける方の人が、少しでもそこに神様に交うものを作ってあげるのが、取次者のいうならば御用だと言うても良い位だと思う。そこで私はね、いつもこう言うんです。誰だってね、例えば親不幸をしたいなんていう者は、まぁおりません。うちの親をいじめてやろうなんていう子供はおりゃあしません。いや、むしろ親にも喜んでもらいたい、孝行もしたいというのがこれはまぁみんなの思いの中にあるだろう。けれども、その親孝行を本当にしとうてたまらんという人はごくまれだと。そういう人をいわば昔から孝子と言うて来たんだと。親孝行しなければならない事は分かっておるけれども、いよいよの時には、もうすでに親がいないといったような結果で、事になったんでは駄目だと。まぁひとつ本気でね、親に喜んでもらいたい、親孝行がしたい、本気で親に喜んでもらいたいという気持ちになりなさい。親不孝したいという者はおらんですから、大概の人が私の言う事に、ああ考えてみると自分も親不孝は無かったと思うけれど、なら、親に孝行しとうてたまらんという程しのものではなかった事に、まぁ大体気が付くようである。そこからね、かすかながらね、神様と通うものが出来てくる親に孝行して親に喜んでもらいたいという、そういう一念が燃えないにしましてもそういう事にちょっと気付かせて頂き、ああそうだなと気付くところからやはり神様とほんのささい、わずかではあっても交流するものがある。いわゆる神の喜んで頂く、いわば交流の手だてとしてね、私はそのような風に言うんです。そこからみんながほんとにおかげを頂いた、不思議なおかげを頂いたという事になってくる。まぁそこから段々<道>の話をさせて頂く訳なんですけれどもね。
只今、御祈念をさせて頂く前に、今日私ちょっとお風呂を遅くしとった。そして今から裸になって誰も入ってないからお風呂に入っとったら、今日は丁度夕方上野さんが学院の時代の同窓の方達が、遠くは新潟からこちらの教会に御縁があられたり御用があられて、私は詳しく聞いてないから分からんけど、まぁそういう御用でみえられた。そこでついでに、ああ上野さんが合楽の教会にと言いよったからいっぺん見に行ってみようじゃないかと。まぁ言ったような事じゃなかったろうかと思う。みえられてその方達も、もう私帰っておられると思ったらまだおられた訳です。それでお風呂を勧められてお風呂に入って裸になろうと、もう裸になりかけておられるのと、私が裸になって入るのが一緒になった。期せずして、まぁお風呂の中でまぁ裸で面会が出来た訳です。初めての面会。もう本当にいわゆる裸で話し合うというか裸で会うという事が、御縁が深い方達ばっかりだなと思うた。いうなら私の赤裸々な姿、皆さんの赤裸々な姿とがそこにぶつかり合わんばかりに、狭い風呂で四人の者が一緒になったんですからね。まぁあそこでほんとに裸で話し合いたいけれど、私が耳がなにしろ遠いもんですから出来ません。けれども中に、その若い先生が私に「先生、あなたは丸坊主になっておられるようですが、いつの頃からですか」と聞かれたけれども、私はそれに対してね、返事をしても風呂の中ではいろいろ聞きにくいしね、又私が耳に入らんから「んーこれはそうですね、二十四、五年にもなるでしょうか。私が坊主になったのは。ありますよ。『いわれ』があるんですよ。」と言うて私は風呂から出てきたんですけれど。まぁいうならば私が丸坊主になった『いわれ』をひとつ先生方にも皆さん方にもひとつ聞いて頂きましょう。
私、元は皆さんのように、こうきれいに七、三に分けていたんです。とても私の髪はきれいだとみんなから言われた。そうです、福岡でいよいよ教えをたけなわ、もう本当にまぁいうならあの時分は一食、お椀一杯のお粥で一日を過ごしておるという時代。そういう中にも又たまには断食をしたりするのですから、もう本当にあの時分の写真が残っておりますがねぇ。ほんとに<線香>のように、もう今の方がよっぽど若く見える位に、もう六十位のおじいさんに見える位な様相をしております。もうそれこそ押せば倒れるような感じの時ですねぇ。体がこう「く」の字のような感じになっておる、あんまり痩せてるから。私が福岡から椛目に帰って来る。帰って来る私が、もうそのいうなら帰って来るたびに痩せとりますもんですからね、両親がそれを心配するんです。どうかあるとじゃないかと言う訳です。けれどもこちらには痩せる理由がちゃんと分かっておりますけれども。神様に私、お願いをさせて頂いた。私がいわゆる信心に打ち込ませて頂いたのは、それこそまぁ終戦、引き揚げほんとにああいう物資欠乏というか窮乏しておる時にね、もうほんとに裸で家族中の者が引き揚げて帰って来て親元に帰って来て、いよいよ難儀な事になってきた。このままもし親に死なれたらもう目も当てられんと思うた。【外地 】までも奮発したのは、只この親に喜んでもらいたい。親孝行をしたいばっかりの一念で奥地惨害までも行っとったのに、それがこれがこのまま行くならばほんとにまぁ百万長者になれるかと思われるような時代もあった。けれども終戦。もう全ての物があちらに置いて帰らなければならないというような状態で、いうなら裸一貫同様で家族の者が引き揚げて帰って来た。初めて今までの信心の間違いというか、私のいうなら本格的な修行が始まったという事が言える。その第一の願いは、やはりこの親のおる間、この親がおる間に本当に喜んでもらいたい、安心してもらいたいという、只その一念だけだった。その一念の信心が段々なされていく内にね、いわば肉親の親よりもっと道の上での親の大事な事が分かってくるようになり、いやそれよりかもっともっと大きな親の為の信心が気付かせて頂く、そういう信心が発掘されてきたんですね。本気でその信心にならして頂いたら、それよりもっとより本当な大きな親がある事に気付かせてもろうて、そこに焦点が置かれるようになった時代なのだ。それでもやはりこの親の為に本気での信心も修行もさせて頂いておる者が帰るたびに親に悲しい思いをさせる。これはやっぱりあの時代の写真を見てみると、本当に親として心配であっただろうとこう思う。そこで私は、その日もこっちの方へ福岡から帰って来なければならないという日に、神様に一つのお願いをした。それは様々ないろんな、いうなら奇跡的なおかげというような事を聞いてもおるし、又自分の身辺にもいろいろ起きておった時代なのですから。神様どうぞ、私は今こうやって一食修行であり断食から断食をさせて頂いておる時ですから、なかなか肥えるという事が出来るはずはないけれども、神様ここはひとつあなたの力、あなたのおかげでね、親が安心するように、まぁいうならふっくらとまではいかんでもです、肥えさせて下さいと。今日は親元に帰らなきゃなりませんが、どうぞ肥えさせて下さいといったような、もう無茶苦茶な願いでも平気でさせて頂いておる時代なんですからね。あれは、あのサンフランシスコの福田先生がそういう体験を、先生の信心の事を書いておられる御本を読まれた方はそんな事がありますね。不思議に自分が一夜にして肥えたといったような事が出てくるんですよ。だからそんな事が聞いておりましたから、私はそうお願いしたんです。そしたらね、神様から「頭をつんで帰れ」とおっしゃった。その時に私は初めて今まで長年、いわばのばしておった髪の毛を切る気になったんです。その時私がね、丸坊主になって帰らせて頂きましたら両親が喜びました。今度はちっとは肥えたごたるばいと言うてから。これはもう本当にですね、髪の毛を切ると肥えたように見えるんです。いわば肥えはしなかったけれど、肥えたように見えた。それ以来私が髪をのばさない。まぁそういうような理由があるんです。私が頭を坊主にするのは。以来、私は髪をこのように致しております。というようにですね、例えばその親に喜んでもらうという事がね、この、やむにやまれぬ思いになってくる時にね、さっき私が申します、信心とは神様と交流する事。その交流の第一は何というても「和賀心」これは例えばこのようにガッチリと交流する。神様と私共の和賀心がこんなにも交流する。例えば御用。又は修行。なる程、それは少しずれてくるようだね。交流するというてもずれてくる。だから交流する事が、例えば肉親の親に孝行するといったような事もね、姿勢【 】をするといったようなことを、いわゆる親が子を思う一念というか、親孝行したいというのがやはり姿勢なんです。そういうものが一心発起される時に、やはりそれはガッチリとは交流しないにしましてもね、とにかく交流するです、少し。そこから神様との交流を計る事が出来る。そこからそういう交流するその一つのルートをたどっておかげが交流するのである。だから信心とは、結局神様と私共が交流する事なんだ。そこで例えば信心、信ずる心。もうほんとに信ずる心の強い人。これは神様とどうでも交流する事になる。そりゃガッチリとまではいかんです。けれども信ずる力の強い人はやはりおかげを受ける。神は信ずる者を信ずると言われる位ですからね。次にはやはり真心。何というても真心。まごころ。その真心を追求させてもらうという事。やっぱり通ずるね。通う。真心の強い人はおかげを受ける。次がやはり神心。かみごころ。私共の心が、いわゆる生神金光大神を目指してお互いが信心の稽古をさせてもらう。そして自分の心に自分でまぁ自分の心に合掌したい程しの心。そういう心。これは間違いない。いわゆる和賀心に通ずるのである。私共がね、神様との交流を計るという事。そこんところをね、私共が抜きにして例えばいかに修行させて頂いても、ほんとにガッチリと交流する大きなルートというものは生まれてこない。只ね、それこそ親に孝行したいという一念だけでも、これは神様と私共の交流する証拠にね、そういう心から段々神様と通う事が出来る。
私は昔聞いたお話の中に、佐藤【 】という方が学院生が出るたびに必ずおっしゃったという事は「道の取次者、道の御用をさせて頂く者は、いっぺんは神の声を聞け」とおっしゃった。なかなかそりゃ難しい事だなと私は思いよった。けれども段々おかげを頂いて参りましてから、成る程、神の声をいっぺん聞かなければ生にです、やはり神の声をいっぺん聞いておかないとね、本当のものが生まれてこないように思う。